店長のご紹介
はじめまして、山内鮮魚店店長の山内です。数あるお店の中、当店にご来店いただきありがとうございます。
当店を知っていただき、少しでもお客様と「顔」の見えるおつきあいができますよう、ちょっとだけ私店長の紹介をさせてください。
鮮魚店の長男として生まれ育ち、紆余曲折しながらの半生ですが、少しでもお客様に知っていただきたき、末永くおつきあい頂ければ幸いです。
プロフィール
1975年 | 宮城県南三陸町生まれ |
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1990年 | 宮城県気仙沼高校に入学。ラグビー部に所属。 |
1993年 | 高校卒業後、大学進学のため北海道へ。ラグビー部に所属、4年間を過ごしました。 |
1996年 | 夢だったカメラマンを目指し上京。 |
1998年 | 独立。フリーカメラマンとして都内で活動。 |
2004年 | 南三陸町に帰郷、新しく設立した通信販売事業部でインターネット通販を始める。 |
2009年 | 第13回日本オンラインショッピング大賞最優秀賞 |
2011年 | 第2回ネット&リアル相互貢献グランプリ |
2013年 | 第10回OSMC全国実践会 最優秀実践者賞 |
趣味 | 食べ歩き、靴磨き |
特技 | ラグビー、写真撮影(どれも本気で突き詰めました) |
好きな物 | ほや、日本酒、野菜スティック、スモークエースの鶏炭火焼 |
半生
<幼少期>
鮮魚店の長男として生まれた私ですが、パワー溢れる祖父や父親とは違い、中学の途中まで「病弱」を絵に描いたような子供でした。すぐに風邪をこじらしては入院する。学校のかけっこでもいつもビリ。いつも自分を変えたい、そう思う子供でした。
<ラグビーとの出会い>
強くなりたい、そんな思いから高校入学と共にラグビー部に所属。入学式が終わるとすぐグラウンドに向かっていました。50キロ離れた隣町の高校へ一時間かけ電車で通う日々。最も遠くから通っていたため、終電が間に合わず、練習帰りはいつも全速力で電車に駆け込む日々を送りました。気がつけば、風邪も全くひかない強い体になっていました。 この頃のポジションはCTB。
<第二の故郷、北海道へ>
大学進学のため、北海道函館市へ。ノスタルジックな町並みと、心地よい潮風が大好きな町でした。大学でもラグビー部に所属、ポジションはSO、キッカーとして北海道学生代表にもなりました。この頃趣味で写真を始めます。五稜郭近くにある中古カメラ屋さんに入り浸り、大好きな店主のおじさんとカメラ談義をするのが愉しみでした。カメラの楽しさを教えてくれたあのカメラ屋のおじさんはどうしているか、時々思い出します。函館の町並みや人が大好きで、卒業から二年近くも働きながらこの土地で過ごす事になります。今でも函館は第二の故郷です。
<夢を叶えるべく、上京>
親に反対されながらも、兼ねてから夢だったカメラマンを目指し上京。就職情報誌で見つけた都内のスタジオの面接試験を受ける事に。当時はカメラマンブーム、100人中たった4人の枠の中に何とか滑り込みます。夢にまで見たカメラマンの世界、タレントや芸能人の撮影に携われる幸せ。朝から晩までアシスタントとして働く日々が、楽しくて仕方ありませんでした。
<独立>
その後、写真家のアシスタントを経て独立。当初はなかなか写真で食べる事ができず、引っ越しのアルバイトや建設現場などでのアルバイトで食いつないでいました。やがて仕事も軌道にのり写真だけで食べていけるようになりました。写真展も大好きな函館をテーマに2度開催しました。また当時は業界がフィルムからデジタルへ変わる変貌期。ここで最先端のデジタル撮影技術を学びます。
<思い出す、故郷の海>
仕事も順調にこなし、充実した毎日を送っていた頃、実家からできたばかりの新製品「焼魚パック」が送られてきました。それを何気なく口にした瞬間、感動が心の底から沸き上がってきたのです。「ウチの会社が作る製品は、なんて美味しいんだろう。。。」その感動するほどの美味しさと共に、10年以上も遠ざかっていた故郷の風景が一気に脳裏に蘇りました。蒼蒼とした南三陸の海、活気ある市場、人々の笑い声が蘇り、自分の中で何かが変わっていくのを感じました。
<通信販売事業の拡大>
「全国のお客様にこの感動するほど美味しい海の幸をお届けしたい」2005年4月、通販事業部の立ち上げと同時に、小さな港町の鮮魚店は新たな道を模索し始めます。カタログ通販とインターネット通販の強化です。当時、カタログ通販ですでに10年以上の実績があった当社ですが、インターネットに関しては全くの素人。右も左も分からず、教えてくれる人もいなかったため、連日連夜、睡眠時間3時間の生活を3年間続けました。
<インターネット通販とは、お客様との出会いそのものだった>
当初の水産業の多くはBtoB(業者間取引)で成り立っていました。製品を開発し、スーパーや百貨店で販売していただく。けれど思いを伝えるのはお客様ではなく、その間にいるバイヤーと呼ばれる人々。インターネット通販は直接お客様にお届けし、様々なご意見を頂ける。インターネット通販を始めて気づいた事、それはお客様との直接の出会いそのものでした。自分たちが真心こめて梱包した海の幸を、直接お客様にお届けできる幸せ。インターネットとはなんて素晴らしいんだろう、そう心から思いました。
<受賞、そして高知県との出会い>
インターネット通販をはじめて4年後、売上も右肩上がりに成長する中、当店ショッピングサイトは1042社の中から「日本オンラインショッピング大賞」を頂く事になります。その一ヶ月後、高知県にある有名な会社様から講師の依頼が舞い込んできます。
講師の体験などしたこともない自分、何も分からぬまま飛行機に乗り、100名の前で講演をすることに。その夜のこと、懇親会で集まった人々が皆、お酒もそこそこにノート片手に私の元へ集まってくるのです。私はご飯も食べられないほど押し掛けてくる質問攻めに圧倒され、同時に高知の人々の熱心さとインターネット販売にかける想いに感動せずにはいられませんでした。
インターネット販売をはじめて、ずっと孤独にがむしゃらに突き進んでいたのは、自分だけじゃなかった。自社の商品へかける想いを一生懸命お客様に伝えてようとしている人達がこんなにもたくさんいた。不思議と勇気が湧いて来ました。
<3.11>
高知との出会いから2ヶ月後の2011年3月11日。三陸沖を震源とする東日本大震災が発生。ドーンという地鳴りの後に襲ってきたマグニチュード9.0の大地震は、最大遡上高40.1メートルという大津波となり三陸沿岸を襲いました。避難した高台から大津波が町を飲み込んでいく光景を私は一生忘れません。それでもその光景の最中、心に何度も刻んだ「絶対に負けない」という決意は今でも揺るぐことはありません。そしてあれから毎年、あの日あの時間に同じ場所に立ち、様々なことを反芻しています。
<そして、現在>
震災前、恵まれた漁場を持ち養殖業が盛んだった南三陸町の水揚げは、2014年現在でも未だ半分ほどに留まっています。まだまだ復興への道のりは遠いことを実感しています。震災前から町の取り組みとして、観光業に力を入れてきた南三陸町。震災後も少しでも力になりたいと、南三陸キラキラ丼のカタログ撮影や、南三陸タブロイド紙の撮影など、地元をPRする広告媒体の写真撮影を担当しています。
故郷「南三陸」への想い。
私達の故郷は、なんてすばらしいんだろう。
写真の景色は私店長が大好きな場所、国道45号線からの南三陸内湾の景色です。仙台方面から国道を北へ走り山間部を抜けると一気に海が広がり、この景色に出会うことができます。
南三陸特有のエメラルドグリーンの穏やかな海、耳を澄ますとウミネコの声が聞こえ、心地よい潮風を全身で浴びることができます。夕暮れ時は声が出ないほど絶景です。
やはり、海と共に生きたい。 2011年3月11日、はからずも遭遇した未曾有の大災害によってすべてのものを失ってもなお、わたしたちは海と共に生きるしかないのです。
思えば先人達も何度も大津波によって生活を奪われ、また海と共に生きてきました。「海の恵みによって、私達は活かされている」震災後、強くそう思う様になりました。だから私は海が大好きです。この南三陸の絶景を見ながら、一生を共に過ごしていきたい。そんな想いがあります。
講演実績
<講演実績>
2010.10 | 東北電子専門学校 |
2011.1,21 | 高知県「高知e商人養成塾」 |
2012.9.2 | 高知県「第6回高知e商人養成塾合宿」 |
2013.7.11 | 宮崎県「宮崎夢叶塾」 |
2013.11.3 | OSMC全国実践会 |
2014.3,26 | 石川県地場産業振興センター |
2014.6.26 | 宮崎県「宮崎夢叶塾」 |
2014.7.3 | 東京エレクトロンホール宮城 |
2014.8.22 | 山形県酒田市商工会議所 |
2014.10.18 | 福岡県宗像市 宗像ロイヤルホテル |
2014.12.1 | 岩手県盛岡市 「中小企業基盤機構」 |
2015.5.13 | 山形WEB研究会 |
2015.7.7 | 宮城大学 |
2015.9.7 | 宮崎市商工会議所 |
2016.2.16 | IT経営カンファレンス2016(宮城県庁) |
2016.7.12 | 宮城大学 |
2016.9.6 | 福島市西口インキュベートルーム |
2016.11.9 | 幕張メッセ kintoneアワード2016 |