南三陸の元気の象徴とも言える「南三陸福興市」は、3月29日で45回を迎えました。
震災直後の2011年4月から始まったこの福興市。
会場となったのは、避難所として使用していた「志津川中学校」でした。
売る物すらない。でも始まった「福を興す(おこす)市」
震災から1ヶ月。まさに生き延びるための避難生活だけを考えていた頃。
「悲しみ」と「不安」を抱えながら生きていた南三陸町が「元気」を取り戻したのがこの福興市でした。
震災直後の南三陸では、売る物すらない。
でも実は急ピッチで準備は進んでいました。
その原動力となったのは、全国の商店主とのネットワーク。
そしてボランティアの方々の力。
「売る物は我々が集める」
そうして集まった全国の商店街からの「特産品」と「人」。
その助けを借り、第一回南三陸福興市が始まったのです。
避難所となっていた中学校には、たくさんの町民が訪れ
商店主たちの賑やかな声と、子供達の笑顔が弾ける。
そして、離ればなれになっていた人々も再会を果たした。
南三陸は商人の町。
商いが奏でる賑わいが、疲弊した町に元気をもたらしたのです。
45回目の福興市。それは感謝と涙の福興市
福興市の特徴は、南三陸町の商店だけでなく
全国の商店主達が参加しているということ。
そして月に一度、最終日曜日に行われること。
さまざまな商店主達が全国から参加してくれる中
やがて我々南三陸町民は、
ひと際元気に、笑顔で、毎回のように通ってくれる商店主達と
まるで家族のように、絆を深めていきます。
第45回目をむかえた今回の福興市は
そんな方々への感謝の気持ちを伝える式典を通じ
感謝と涙の福興市になりました。
昭和51年の酒田大火により、中心商店街の90%を焼失した中通り商店街は
第一回福興市から皆勤で参加。
南三陸とは真逆の日本海に面した港町から
毎回4時間近くもかけ、日帰りで参加してくれています。
突き抜けるような明るい笑顔に何度助けられたことか分かりません。
仙台から個人で参加してくてるKさんも、第一回福興市から。
人手の少ない商店の販売を手伝い、
福興市以外でもイベントがあれば足しげく通ってくれる。
パワーみなぎるステキな女性。
様々な商店主たちが彼女に助けられた事でしょう。
はるばる岡山県笠岡から毎回参加してくれる笠岡の方々。
車で15時間。想像できないほどの距離を移動し
ほとばしる笑顔と元気を振りまいてくれる。
震災から丸4年。
我々はそういう方々と出会い、底知れぬ元気を頂いています。
人との出会いは素晴らしい。
この写真に写っている皆の笑顔が、そのすべてを物語っています。
人は人に助けられ、支えられ、感化され、突き動かされ、元気と勇気と原動力を頂く。
これからも南三陸は「人の力」を大切に、進んでいきたい。