震災から丸4年が経ちました。
南三陸町は昨晩の雪に加え、まるで真冬に逆戻りしたかのような寒気と強風。潮風が凍てつく一日となりました。
我々東北に住む者にとって、一年で最も大切な日です。
南三陸町においては死者660人、未だ行方不明な方の数は212人(南三陸町HPより抜粋)
宮城県北部の小さな港町。その8割が壊滅した、あの日の事を思い出します。
2011年03月23日のBlog
https://www.yamauchi-f.com/blog/?p=12
悲しみに包まれたような曇り空と強風の中、行われた「東日本大震災南三陸町追悼式」。
そして4年の月日が経った南三陸の今です。
高台にあるベイサイドアリーナ前にあった山が切り開かれ、ここに新しい「南三陸病院」が建設されています。
かつて警察署があった場所の近く。瓦礫は撤去されていますが盛土工事はまだ進んでいません。
かつてのJR気仙沼線の線路。この線が再生されるのはいつの事なのでしょう。
中央を流れる八幡川(はちまんがわ)。かつて五日町商店街として小さな商店が並んでいた場所は、10メートルの盛土工事が完成しています。
盛られた土の高さは、海抜10.6メートル。この場所に新たに商店街が建設されます。
かつての港付近。工事車両が行き来し、道路も刻々と姿を変えています。
本浜地区。工事車両が多く、車を停める場所がないため全体像をお伝えできませんが、当店工場があった付近は、集中的な盛土工事が進んでいます。
防潮堤も刻々と。
4年の月日が過ぎ、復興への営みは加速しています。仮設店舗が集まった「さんさん商店街」も数年後には取り壊され、新たな場所へと姿を変えます。この場所で毎日過ごしている我々ですら、この先この町がどういう姿へと変わって行くのか想像がつきません。
20年後、私店長は60歳になります。
20年の月日が経った時、ここに暮らす人々が笑顔で暮らせるようにするにはどうしたらいいのだろう。
未来の子供達のためにも、震災で止むを得ず離れて行った人達のためにもしっかりと取り組みたい。
『町は人が造るもの』
我々や若者達が担うべき、役割は大きい。
先人達に教えを乞い、若者の声に耳を傾け、今年一年進んで行きたいと切に思います。
広島の土砂災害、白馬の地震、次々と起る巨大災害。
我々はもはや被災地ではなく、再生地として進まなければ。