震災から二週間が過ぎました。命をつなぐ物資供給の一次段階を過ぎ、避難生活は第二段階へ入ろうとしています。先日、避難所で生活している行き場所のない我々町民にひとつの提案が出され、一時的な集団疎開か、或いはそれ以外の選択肢を自分で切り開くか、選択を迫られています。それぞれのコミュニティが集団で疎開すること、被災した事により様々な家族間の問題を抱える住民がひとつになるかの瀬戸際です。自分も含め、そして当社社員も、決断の時が迫っています。
そしてブログの更新もままならず、頂いたコメントや励ましのメールに返信できずにおりますことご理解下さい。頂いたコメントやメールはすべて目を通しております。本当にありがとうございます。
カメラに日々蓄積されていく写真です。町は少しづつですが着実に瓦礫の撤去作業が進んでいます。
当店のすぐ近くにあった志津川漁協。上空では、ヘリが毎日のように飛び交っています。
志津川、本浜地区。
同じく本浜地区。新漁港へ向かう道は、地震と津波によってえぐり取られ、寸断されたままです。
鉄筋の外枠だけが残った、当社の自社工場。今は数名の社員と共に、時間を見つけては少しずつ瓦礫を撤去しています。
工場内一階。津波によって吹き飛ばされた一階は、瓦礫と泥の山です。
この発砲スチロールを見ると、切なさがこみ上げてきます。
工場の屋上へ上りました。三階建ての建物の屋上にまで達した、津波の大きさを実感します。
工場二階から。廃墟となった町を見下ろす。
工場二階から、志津川病院方面。
瓦礫の中を、自分や家族の思い出を探し歩く少年。
無事だったひとりの社員に会いに、志津川高校へ。高校の校門から町を見下ろす。
国道398号線(写真中央)には電柱が立ち始めました。国道の向こうには、息子がよく訪れていた、志津川保健センター。
志津川中学校から南三陸町の中心街を見下ろす。
一台の車が通っている場所。そこは、我が家と会社があった場所です。
そして本日、志津川中学校では卒業式が行われました。遠くに避難している生徒達や家族も一斉に集まり、子供達の無邪気な声に包まれた一日でした。以下はその時の写真です。
株式会社ヤマウチ 通販事業部 山内恭輔
kyosukeyamauchijp@gmail.com
南三陸町民の安否情報等も含め、何かございましたら
私までご連絡をお願い致します。