山内鮮魚店店長のヤマウチです。
昨日、今日と南三陸町もようやく夏らしい日が続いております。
当店Facebookでは何度かご紹介しておりますが、南三陸町中心部では
現在建物の解体が進んでおります。
私自身も毎日決まった道しか通らず、なかなかすべてを見て回る事が難しいですが
本日時間を見つけて撮影して参りました。
数日前にあった建物も、今では姿を消しております。
本当にあっという間です。撮影中、複雑な気持ちになりました。
こちらは志津川港魚市場近くにある町営住宅です。
この建物のようにコンクリートに覆われた建築物は津波の衝撃を耐え残っておりましたが
取り壊しが始まり、一部を残しもうすぐ解体が終わるようです。
左側ショベルカーがある部分いっぱいに同じ建築物が建っていました。
この住宅には被災当初、窓一面に瓦礫が入り込み、屋根にも瓦礫の山が積まれている状態でした。
こちらは住宅を左手に、以前の中心部方面。
左手に見える鉄筋の建物は、当店の以前の製造工場です。写真中央が橋になっており
津波で道路ごと消失しておりましたが、橋が架けられ現在は道路も整備されています。
こちらは警察署。ショベルカーがいる当りに警察署が建っていました。
今は解体がほとんど終わり、陰も形もありません。
そして南三陸町で唯一のショッピングセンター「サンポート」跡地。
奥に見えるのが「高野会館」結婚式場です。私の祖母は当日この会館にいて難を逃れました。
こちらが全貌。サンポートのマークも、建物もなくなっています。
そして公立志津川病院。新館の解体が始まっていました。
休館の方はすでに取り壊されています。
右側が休館跡地。新館とは違い休館は4階建でした。
被災直後、報道で屋上にいる方達が撮影されたのがこの病院の新館です。
今月に入り工事の数も一気に増えてきたように感じます。
JR志津川駅跡地に行ってきました。駅舎は津波によって無くなってしまいましたが
現在バス停として利用されています。プレハブの待合室が建っていました。
こちらが志津川駅構内。高校生の頃はこのトンネルを毎日くぐり気仙沼まで通っていました。
線路はすでに撤去され、現在線路があった場所は砂利石の上に草が生い茂っています。
ここは瓦礫の山が積まれている「松原公園跡地」。写真には写っておりませんが
瓦礫に寄り添うように、以前のシンボルだった蒸気機関車が横たわっています。
ボランティアの方々も朝から本当にご苦労様です。
こちらは志津川消防署跡地。消防署もすっかり消えてなくなっています。
久しぶりに志津川中学校へ登りました。私達家族が避難した場所です。
老人ホーム「慈恵園」はまだ手つかずのようです。ここでは本当にたくさんの方々が亡くなりました。
震災直後、この奥にある高台の住宅に行くため、私も幾度となくこの老人ホームの裏山を歩きました。
防災庁舎の向こうに、養殖棚が見えます。南三陸でもワカメやホタテ、牡蠣などの養殖が
震災後早い段階で再開されています。その第一号のホタテが現在お届けしているホタテです。
この場所もなくなってしまうんでしょうか。
今日も南三陸の海がキレイです。