山内鮮魚店店長のヤマウチです。
11月に入り、南三陸町はすっかり秋一色です。
夜の冷え込みはもう冬を感じるくらい寒く、また仮設住宅での長い冬が始まると思うと
何とも言えない気持ちになりますが、仕方がありませんね♪頑張ります。
さて、南三陸町では現在津波で流失した町中の建物の「土台」を掘り起こす作業が進んでおります。
少しだけですが、現状をご紹介致します
まずは本日の南三陸町です。志津川中学校から見る景色は刻々と冬へ向かう町を一望できます。
今日は風も穏やかです。ここからでも町の至る所で鳴り響く重機の音が聞こえます。
志津川中学校の登校坂から。震災前、ほぼ毎日見ていた景色です。あの頃の平凡な日々を少し思い出しました。
こちらは当店通販事業部の跡地。私店長の住まいもここにありました。ここでも土台の掘り起こしが進んでいます。
この場所も先日、土台解体の承諾をしましたのでもうすぐ解体作業が始まります。
こちらは南三陸町の中心を流れる「八幡川」。鮭が川を上っています。ここで鮭を塞き止めて人工授精させ、稚魚を海へ戻しています。
そのため、南三陸町は秋鮭の水揚げが宮城県一となっています。
八幡側に添って走る国道398号線。南三陸さんさん商店街の目の前の通りです。
南三陸防災庁舎の川向い。ここが当店が創業した場所。震災前、本店が建っていた場所で私達家族の生家でもあります。
床一面に見えるタイルが、唯一当時の鮮魚店そのままの形で残っています。ここに立つと本当にいろいろな事を思い出します。
生家の茶の間があった場所に立ってみました。川の流れは昔のままです。
小さい頃、よく二階の部屋から釣り糸を垂らし小魚を釣っていました。
向こうに見えるのはかつての五日町商店街。南三陸町のメインストリートがあった場所です。
この辺りも土台の掘り起こしが進んでいます。
こちらは港近くの「おさかな通り」があった辺りです。ここは随分と土台が掘り起こされていました。
同じ場所。昨日の大雨のせいで大分浸水しています。
これが浸水の元です。満潮時や大雨の後、港近くが浸水するのは海から海水が流れてくるのではなく、こうした場所から海水が溢れ出して浸水しているのが現状です。
瓦礫の山も少しずつ少なくなっています。現在南三陸町では町の外れの戸倉地区にて瓦礫を燃やす作業が続いています。
一年もたてば、瓦礫の山もなくなるでしょう。
久しぶりに当店の製造工場に行ってみました。津波にもなんとか持ちこたえたこの工場も解体が決まっております。
工場内、懐かしい作業用品が並んでいます。震災直後、この工場の敷地の外にたくさんの作業用品や製造製品が散乱していた時には、とても悲しい気持ちになりましたが今ではもう慣れました。
工場2階から。津波によって様々な物を失っても、ここで育ちここで商売をさせて頂いているからやっぱり海が好きです。
当店のすぐ近くにあった「旧志津川魚市場」の解体も始まっていました。
町の再建へ向かって、いろいろな事が少しずつ着実に進んでいるんですね。改めて実感します。
そして被災した当店工場の屋上へ。この場所に来ると4階建てに当るこの工場の屋上にも津波が来た事実を実感します。
お客様が来る時にはいつもこの場所にお連れします。そして誰もが津波の遡上を実感して帰られます。
現在南三陸町では秋空の下、町中に重機の音が鳴り響いています。
震災から1年8ヶ月。様々な人々がこの町を訪れ、この目の前の現状を実感して帰って行きます。
全国各地から来て頂いたお客様も皆、工場屋上に立ち、荒涼とした町を眺め、防災庁舎に手を合わせ帰って行きます。
我々はあの日すべてを失い、今日まで誰もが体験できないような日々を過ごしてきましたが、それでも海の恩恵を受け今こうして生かされているのだと改めて今日実感しました。
「笑顔を絶やさず、海と共に生きる」震災後の当店のスローガンです。
当店はこれからも海を愛し、南三陸の海の幸を尊い、笑顔と元気で営業して参ります。